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参考までに
Hi-NRG(High Energy、ハイエナジー)は、1980年代半ばに登場したディスコやクラブで人気の高かったダンス・ミュージックで、ディスコ音楽に電子楽器を導入したユーロ・ディスコから派生した音楽です。
ユーロ・ディスコ音楽は、1975年にジョルジオ・モロダーとピート・ベロッテのコンビによるプロデュースで、全ての楽器を「電子楽器」に置き換えて実験的に制作された、ドナ・サマーの「I Feel Love」が発売され好評を博すと状況は変化し始めた。「I Feel Love」の発売以降、電子楽器によるディスコ音楽の可能性が認知されるようになった。
“Hi-NRG” という名称は、英国の音楽週刊誌『レコードミラー』でゲイ・ディスコ・ミュージック・チャートの名称がそれまでの「BOYS TOWN DISCO」チャートから1984年2月4日付けで「Hi-NRG DISCO」チャートに変更されたことに由来するとされる一方で、イアン・レビーン(Ian Levine) によってプロデュースされたイブリン・トーマス(英語版)のディスコ・ヒット「ハイエナジー (High Energy)」(1984年) に由来する、という説もある。
ALFA INTERNATIONALより、「THAT'S Hi-NRG」がリリースされる。レコードでは楽曲のイントロからアウトロまでをフルに収録したノーマルなコンピレーションが、カセットテープではM.I.D.によるノンストップなメガミックスがそれぞれ発売された。発売当時は、音源を編集して繋ぎ合わせる方法がアナログテープの切り貼りや、数秒の音しか扱えない低音質のサンプラーしかなかったため、ノンストップメガミックスのリリースとしては殆ど日本初となった。
ちなみに同曲は1984年3月17日付けチャートに初登場し、4月7日付けで1位を獲得後11週に渡り首位を維持した。ハイエナジーの代表的なミュージシャンにはシルベスター、クラウディア・バリー、ミケーレ・ブラウン、フランス・ジョリ、エイミー・スチュアート、ウェザー・ガールズらがいた。
典型的な “Hi-NRG” の特徴のひとつに、シンセベースのオクターブ奏法(低音と1オクターブ上の高音が交互に並び、ドラムのハイハット的な役割を担う)を用いる事がある。これは1980年代半ばにHi-NRGがユーロビートに進化した際にもそのまま引き継がれた。またシーケンサーで組まれたエネルギッシュでスタッカートの効いたシンセサイザー音が使用され、ドラムマシンのクラップ音も頻繁に使用される。1982年にThe EndUp(英語版)(※訳注:サンフランシスコのナイトクラブ)で、DJパトリック・カウリーが最初にHi-NRG音楽の人気を高めた。1984年には主にレコードレーベルのレコード・シャック (Record Shack) が、イギリスやアメリカのディスコ・チャートで成功を収めた。
レコード・シャックは、ブレイク・マシン(英語版)とミケール・ブラウンによるトラックと、84年に奇跡的にカムバック・シングルをヒットさせた大ベテランの女性歌手、アーサ・キット (Eartha Kitt) によって、ダンス・チャートでの成功を収めた。
ストック・エイトキン・ウォーターマン (Stock Aitken Waterman) も、その時期のHi-NRGプロデューサーである。彼はディヴァイン (Divine) とヘイゼル・ディーン(英語版)を世を送り出し、プロデュースとして最も成功したHi-NRGトラック、デッド・オア・アライヴの「You Spin Me Round (Like a Record)」は、UKナンバーワンとなった。 その後のHi-NRGは、主にハウスミュージックに取って代わられたが、それHi-NRGはアンダーグラウンドシーンで残っている。
現代のHi-NRGサウンドは、1990年代に出現したクリスティーン W(英語版)とアビゲイル(英語版)という、2人の主要なHi-NRGアーティストの功績によってクラブ/ダンスミュージックシーンのメジャー勢力となっているが、かつてと基本的なスタイルは同じであるものの、時代の流行が取り込まれたリズムとシンセへと変化している。
この時期にヨーロッパで作成されたHi-NRGトラックの例としては、イタロ・ディスコ(すなわち、タフィー、マガジン60など)と、ディスコフォックス(すなわち、リアン・ロス、モダン・トーキング、ファンシー)を挙げることができる。
Hi-NRG-Wikipedia
ユーロビート (Eurobeat) は、主に電子楽器を使用したダンス・ミュージックの一種で、ユーロ・ディスコをルーツとし、Hi-NRGと同時期の1980年代後半に流行した。 現在「ユーロビート」と呼ばれているものは、1990年代後半以降に日本市場向けに特化し、独自に進化したものを指すことが多い。
1990年代以降もユーロビートが日本でガラパゴス的に人気を保ち続けた理由としては、ユーロビートに合わせて踊る日本特有のダンス文化「パラパラ」や、デイブ・ロジャースが楽曲提供を行ったアニメの『頭文字D』(1998年 - )が人気を博したことも大きい。
エイベックスから『スーパーユーロビート』(1990年 - )、『ユーロビートフラッシュ』(1995年 - 1999年)、『ユーロマッハ!』(1999年 - 2002年)というコンピレーションCDシリーズが発売され始め、特に「スーパーユーロビート」は後年まで続く長寿シリーズとなった。
スーパーユーロビート以降は、1980年代の楽曲と比べてBPMが大幅に早くなっており、別物と言える程に進化を遂げた。『SUPER EUROBEAT』シリーズの長期的な商業的成功については、エイベックスの経営者が直接イタリアのユーロビート・レーベルと契約し、日本市場向けの嗜好に特化して制作してもらったことが大きな理由で、これらのレーベルの作品は、現在ほとんど日本国内で消費されているのみである。日本国内でのみ人気のあるジャンルをイタリアのレーベルが長年に亘って制作しつづけるという珍しい現象が起きている。 そのため現在では、いわゆる洋楽であるにもかかわらず、日本国内のみで発売されているコンピレーション盤がほとんどである。
1990年代中盤より、ユーロビートのアーティストであるデイブ・ロジャースが安室奈美恵やMAX、V6と言ったエイベックス所属のアーティストのプロデュースを行い、非常に大きな商業的成功を成し遂げた。この時期以降のユーロビートは、日本でしか発売されていない楽曲がほとんどである。
アジアにおけるユーロビートの流行が、日本を起点に香港や韓国などのアジア諸国に拡大していく例もあった。特に、荻野目洋子ヴァージョンの『ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)』は、香港などでカヴァーされる際に、オリジナル曲ではなく、日本での編曲が使われた。韓国では「ザッツ・ユーロビート」のコピー盤が流通したり、90年代にはアイドルグループがユーロビート調の楽曲を歌っていた事もあった。
21世紀になると頭文字Dの影響を受ける形でインターネットミームの音源として多用されたり、更には自動車メーカー、とりわけスポーツカーやモータースポーツのプロモーションに使われたりする[5]などと言った状況も散見されるようになった。
ユーロビート‐ Wikipedia
風営法とディスコ・クラブの規制
ディスコ営業は、2016年(平成28年)6月22日まで、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(以下「風営法」)における「風俗営業」として規定されていた。旧法では「『ナイトクラブその他設備を設けて客にダンスをさせ、かつ、客に飲食をさせる営業(第一号に該当する営業を除く。)』とする第二条第一項第三号・ナイトクラブ」に分類された。飲食店は深夜営業を認められているが、ダンスをさせると日の出から深夜12時までの営業(商業地は午前1時まで)しか認められていなかった。
1984年(昭和59年)の風営法改正により、ディスコは深夜営業ができなくなった。その際に風営法を申請せずに小規模で営業する店が現れた。
2005年(平成17年)にエイベックスは、六本木の「ディスコ特区」を政府に要望したが、前述のとおり認められなかった。同年6月23日施行の改正風俗営業法(以下「風営法」)で、ディスコ営業は店内の照明が10ルクス以上であれば風俗営業から除外された。
2010年(平成22年)からは、警察によるクラブの風営法違反での営業方法自体の摘発が頻繁になった。発端は、大阪市中央区心斎橋のクラブ「AZURE」で刑事事件が発生したことで、当該店舗はその後摘発され閉店した。やがて風営法の許可を得ずに深夜まで客を踊らせ、利益を得る業態自体を摘発するに至り、大阪を中心に東京そして全国に一斉摘発の動きは広まった。大阪維新の会および日本維新の会が勢力を持つ大阪府を中心に、クラブへの取り締まりが強められた。
東京でも2012年5月には、東京都港区西麻布のクラブ「alife(エーライフ)」の経営者と責任者が風営法違反で、2013年(平成25年)、5月27日までに東京都港区六本木のクラブ「VANITY RESTAURANT TOKYO(ヴァニティ)」を風営法違反で摘発、経営者ら3人がそれぞれ現行犯逮捕されてしまった。同年7月20日、東京都港区六本木のクラブ「GPbar」「GASPANIC」も摘発された。
大阪クラブ風営法裁判
2012年4月、大阪市梅田のクラブ「NOON」が、大阪維新の会統治下の大阪府公安委員会から、風営法における「風俗営業」の3号営業許可を受けずに客を踊らせたとして、経営者など8人が大阪府警察に逮捕された。この頃には同業他社の他店が摘発され閉店するということが続発していた。
「NOON」の摘発後、2012年(平成24年)5月29日に坂本龍一らの呼びかけで「ダンス規制法で現状にはそぐわない」として、風営法の規制から「ダンス」を削除するように求める署名運動が開始された。この頃に大阪市内で風営法違反とされたクラブはほぼ一掃され、閉店してライブハウスへ業態転換したり、風営法の申請後にバーとして営業再開するなどした。
刑事裁判では「NOON」の営業が「風営法の規制対象となるのか」が争点になり、大阪地方裁判所は「実質的に性風俗を乱す営業とは認められない」「被告人が風営法2条1項3号にいう3号営業を無許可で営んでいたとは認められない」と認定し、大阪府警察・大阪地方検察庁の懲役6か月・罰金100万円の求刑を棄却し、2014年(平成26年)4月25日、被告人に対して無罪判決を下した[16]。
大阪地方検察庁は判決を不服として控訴したが、二審の大阪高等裁判所でも大阪地裁判決を支持して大阪高等検察庁の控訴を棄却、被告人に対して無罪判決を下した。検察は判決を不服として最高裁判所へ上告した。
最高裁判所第3小法廷(木内道祥裁判長)は、2016年(平成28年)6月7日付で、最高検察庁の上告を棄却する決定を出した。クラブは「風俗営業に当たらず、風営法の対象外」として、被告人を無罪とした大阪地裁判決が確定判決となった。
「ディスコ」の語源となったのは、フランス語の "discothèque"(ディスコテーク)であり、マルセイユの方言で「レコード置き場」の意味であった。第二次世界大戦中に生バンドの演奏が困難となったナイトクラブで代わりにレコードをかけるようになったのが始まりであり、第二次大戦後にパリに「ラ・ディスコテーク」と呼ばれるクラブが出現したことにより定着した。
ディスコ ‐ Wikipedia